大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和45年(オ)603号 判決 1974年4月26日

上告人

石橋正規

上告人

江口憲逸

右両名訴訟代理人

元村和安

被上告人

瀬戸口弘

右訴訟代理人

石動丸源六

森美樹

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人元村和安の上告理由及び上告人らの上告理由について。

一原審確定の事実並びに本件記録によつて明らかな本件訴状の記載内容及び本訴における第一審以来の被上告人の主張に徴すれば、被上告人は、本件訴状において、本件不動産についての賃貸借契約が昭和二八年四月上告人石橋より提起された訴訟の経過中に、既に合意により解除されているので、所有権に基づいてその返還を請求する旨主張するとともに、仮に右合意解除の効力が生じていないのであれば、改めて、上告人石橋が本件不動産についての被上告人の所有権を否定して約一〇年間にわたり賃料の支払をしないことを理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思を表明していると解することができる。本件訴状における明渡の請求には、本件不動産の賃貸借契約を解除する旨の意思表示を含むとした原審の判断は正当であり、この点に関する所論は、原審の認定と異なる事実を前提とし、又は、独自の見解に基づいて原審の判断を非難するものにすぎず、採用することができない。

二原審は、本件不動産の賃借人である上告人石橋が、その被承継人である母うらの生前を含めて、昭和二八年四月以降本件訴状送達に至るまで約九年一〇カ月の長期間、賃料を支払わなかつた事実を確定しているほか、この間、上告人石橋が本件不動産が自己の所有であると主張して本件賃貸借関係そのものの存在さえも否定し続けてきた等の事実を確定しているのであり、このような事情のもとにおいては、賃貸人たる被上告人が催告を要せずして本件賃貸借契約を解除することができるとした原審の判断も、また、正当であり、その認定判断の過程に所論の違法はなく、論旨引用の判決は、いずれも本件と事案を異にし、適切ではない。

論旨は、すべて理由がなく、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(吉田豊 岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎)

上告代理人元村和安の上告理由

第一点<略>

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、本上告理由書第一点一、記載のような事実を認定し、右認定事実によれば、本件訴状による明渡の請求には、本件不動産の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をも含むものと解するのが相当であると解している。しかしながら、この点に関する原判決の判断は、契約解除の意思表示についての解釈を誤つたものというべく、原判決は、右判断に基づき、被上告人の本訴請求を認容しているのであるから、この点においても破棄を免れない。すなわち、原判決は本上告理由書第一点二、記載のような事実を認定しているのであるから、被上告人においては本訴提起当時本件不動産の賃貸借関係自体を否定しており、従つて、右否定していた関係について、その存続を欲するか否かの意思を有するはずがないことは明白だからである。

二、原判決は「上告人石橋の方では、昭和二八年初め頃までは被上告人に対し、本件不動産の賃料を支払う一方、本件不動産の売渡し方を要請して交渉を続けてきたが、被上告人から終局的に右売却方を拒絶されるや、同年三月五日、本件不動産は売渡担保であると称し、亡藤吉の借入金元金として金三万円、三月分の利息として金一五〇円、計金二〇、一五〇円を弁済供託したうえ、これにより本件不動産の所有権は同上告人に完全に復帰したと主張して、同年四月被上告人を相手に所有権移転登記抹消登記手続請求の訴を提起し、右訴訟は最高裁判所の上告審まで争われたが同三九年九月四日上告人石橋の敗訴となり確定したこと、右訴訟係属中の一一年余りの間、上告人石橋は本件不動産についての被上告人の所有権を否定するのみか、従前の賃貸借関係の存在さえ否認し、従前被上告人に対し支払つてきた金員は賃料ではなくて借受金の利息であつた旨主張し、もちろん、右訴訟提起後の昭和二八年四月以降は貸借権の存在を肯認する態度を示すことは全くなく、賃料も全然支払わず、被上告人が支払つた本件不動産の固定資産税(前示のとおり契約上賃借人の負担とされている)の支払を申出た形跡も認められないことが認められる。」として、右認定事実によれば、上告人石橋の所為は賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる不信行為にあたるものであつて、被上告人は催告を要せずして本件賃貸借契約を解除し得ると解するのが相当な場合にあたると解している。しかしながら、原判決の確定した事実によつても、なお、本件賃貸借契約は催告なしには解除し得ないものと解すべきであつて、この点に関する原判決の判断は、結局民法第五四一条の適用を誤つたものというべく、原判決は、右判断に基づき、被上告人の本訴請求を認容しているのであるから、この点においても破棄を免れない。原判決の援用する最高裁判所昭和三八年九月二七日第二小法廷判決の事案は、本件とは著しく趣を異にするものである。

(一) 原判決が、有効に本件賃貸借契約が解除されたとする昭和三八年一月一九日当時、上告人石橋と被上告人との間においては、本件不動産の所有権の帰属につき、なお訴訟係属中であつたことは、原判決の認定するところである(右訴訟についての判決の確定は原判決認定のとおり昭和三九年九月四日である。)。而して、本件不動産の所有権が上告人石橋に帰属するのか、それとも被上告人に帰属するのかについての判断には原判決の認定したとおり一一年余りの日時を要しているのである。

裁判所においてすら、その判断に右のような日時を要する程困難な判断について、上告人石橋の自己の所有に属する旨の判断が結果的に誤りがあつたとしても、同人は、そのように信じ、且つ、右のように信ずることについては本上告理由書の別紙上告理由書(右本件不動産の所有権の帰属についての訴訟事件における上告人石橋の上告理由書)記載のとおりの理由で、相当の根拠があつたものである(右事件は上告審の審理にも二年余を要している程の難件であつた。)。してみれば、右事件の係属中である昭和三八年一月一九日当時、上告人石橋が本件不動産が自己の所有であると信じ、そのように主張したことを目して、同上告人に過失ないし悪意ありとすることも、不信行為であるとすることもできないことは明白である。右のような事情からすれば、原判決認定の上告人石橋の態度もまたやむを得ないものであり、これを目して、不信行為にあたるとする原判決の判断は民法第五四一条の適用を誤つたものというべきである。<以下略>

上告人の上告理由

原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背があり、また、理由に齟齬があつて、当然破棄を免れないものと信ずる。

第一、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

<前略>

二、本件は、被上告人が民法第五四一条所定の催告を要せずして一方的に賃貸借を将来に向い解除することのできる場合ではない。

原判決は、「賃貸借の継続中、当事者の一方に、その義務に違反し、信頼関係を裏切つて、賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為があつた場合には、相手方は民法第五四一条所定の催告を要せず、賃貸借を将来に向つて解除することができると解すべきである」として、最高裁判所昭和三七年(オ)第五八八号事件同三八年九月二七日第二小法廷判決を掲げている。同判決は、土蔵造り瓦葺二階建家屋(建坪六坪)の賃借人が賃貸人所有の右敷地またはこれに隣接する同人所有地上に木造瓦葺二階建居宅一棟(建坪約六坪)を無断で建増しした事案についてであり(最高裁民集第一七巻八号一〇六九頁)、なるほど斯の如きは正に賃借人に賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為があつた場合に該当し、賃借人は予めの催告なしに賃貸借契約を解除することもできるであろう。また、最高裁判所昭和二四年(オ)第一四三号同二七年四月二五日第二小法廷判決の示す「昭和一〇年九月二五日畳建具等造作一式附属のまま期間の定めなく家屋を賃借した賃借人が、昭和一三年頃出征したとはいえ、その後一時帰還したこともありながら、終戦後まで不在勝ちであり、その間同家屋には妻子四人が居住し、妻は職業を得て他に勤務し昼間は殆ど在宅せず、その留守中は男児三人が室内で野球をする等放縦な行動をなすがままに放置し、その結果建具類を破壊したり、これら妻子は燃料に窮すれば何時しか建具類さえも燃料代りに焼却して顧みず、便所が使用不能となればそのまま放置して裏口マンホールで用便し、近所から非難の声を浴びたり、室内も碌々掃除せず、塵芥の堆積するにまかせて不潔極りなく、昭和一六年秋たまたま帰還した賃借人も自宅たる同家屋不潔の故をもつて隣家に一泊を乞うのやむを得ざる状態にあり、格子戸、障子、硝子戸、襖等の建具類は全部なくなつており、外壁数か所は破損し、水洗便所は使用不能、賃貸人の破損箇所修覆請求にも応じなかつた」との事案においても同様である。(最高裁民集第六巻四号四五二頁)。しかし、これらは賃借人が契約の本旨または目的物の性質に因て定まつた用法に従いての使用をせず、その範囲を著しく超えた恒久的な使用をしたり、善良なる管理者の注意をもつてすべき賃借物の保管をしなかつたりして賃借人としての義務に違反し、考えようによつては履行が債務の責に帰すべき事由に因つて不能となつたとき(民法第五四三条参照)にも恰当し、債権者は当然契約を解除することもできる場合であり、敢えて民法第五四一条の規定を俟つまでもないから、催告なしの解除も固より可能であり、有効であるといわなければならない。

しかし、本件において、上告人は善管義務に違反したり、契約または目的物の性質によつて定まつた用法に従つての使用をしなかつたりしたものでないから、右二箇の最高裁判例はいずれも本件に適切でないことが明らかである。しかるに原判決は、「被控訴人石橋の方では、昭和二八年初め頃までは控訴人に対し、本件不動産の賃料を支払う一方、本件不動産の売渡し方を要請して交渉を続けてきたが、控訴人から終局的に右売却方を拒絶されるや同年三月五日、本件不動産は売渡担保であると称し、亡藤吉の借入金元金として金二万円、三月分の利息として金一五〇円、計金二〇、一五〇円を弁済供託したうえ、これにより本件不動産の所有権は同被控訴人に完全に復帰したと主張して、同年四月控訴人を相手に所有権移転登記手続請求の訴を提起し、右訴訟は最高裁判所の上告審まで争われたが同三九年九月四日被控訴人石橋の敗訴となり確定したこと、右訴訟係属中の一一年余りの間、被控訴人石橋は本件不動産についての控訴人の所有権を否定するのみか、従前の賃貸借関係の存在さえも否認し、従前控訴人に対し支払つて来た金員は賃料ではなくて借受金の利息であつた旨主張し、もちろん右訴訟提起後の昭和二八年四月以降は賃貸借の存在を肯認する態度を示すことは全くなく、賃料も全然支払わず、控訴人が支払つた本件不動産の固定資産税の支払いを申出た形跡も認められないこと」が認められるとして、上告人の斯る所為は、賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる不信行為にあたるとする。要するに原判決は、上告人が本件不動産は売渡担保であると称し、元利金を弁済供託して所有権移転登記抹消登記手続請求の訴を提起し、被上告人の本件不動産に対する所有権および従前の賃貸借関係の存在を否定して、従来支払つた金員は賃料ではなく借受金の利息であつた旨主張し、爾後賃料を支払わず、被上告人の支払つた上告人の負担すべき固定資産税の支払い申出でもしなかつたのは、民法第五四一条所定の催告を要せずして契約を解除し得る(賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる)不信行為であると決めつけているが、上告人が本件不動産を売渡担保であると思料し、元利金を弁済供託したうえ、所有権移転登記抹消登記手続請求の訴を提起したからといつて、些かもそれが不信行為であるとの譏を受けるいわれはない。原判決自体も理由の四の(一)後段において、「所有権をまず主張し、それが容れられない場合の仮定的な主張として賃借権の主張をすることは、訴訟法上何ら禁じられたことではなく、直ちにこれをもつて信義則違反もしくは権利の濫用にあたるとは言い難い」としているのである。一方原判決は、上告人が被上告人の所有権や賃貸借関係の存在を否定して従来の支払金員は借受金の利息であると主張し、爾後の賃料支払をしなかつたというが、本件不動産につき上告人自らの所有権を訴求する段階において、被上告人の所有権を否定するのは当然であるし、また自己の不動産につき自己が賃借人たることを主張すべき筈もない。また従来の支払金員を賃料でなく借受金の利息であつたと主張したのも本件不動産は譲渡担保に供せられていたものと信じていたからであり、爾後の賃料支払をしなかつたのは、自己の所有権を確信していたからであつて、断じて信義則に反するものではない。原判決は、また、被上告人が支払つた上告人の負担すべき本件不動産の固定資産税の支払申出でもしなかつたというが、固定資産税は従来上告人が納入し続けていたものを前記所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟提起後被上告人において上告人に無断で擅に納税代理人を自己の訴訟代理人弁護士に指定したもので、上告人は同納税代理人が納税を続けていたか否か全く関知せず、所轄市役所よりの納税告知にも接しなかつたもので、上告人は自ら納税を回避したものでもなく、故らに被告人にその納入したであろう金員の支払を申出でなかつたものではない。寧ろ被上告人が擅に自ら納税したのは被上告人こそ契約違反というべきである。

以上のとおり、上告人は些かも賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめるような不信行為をしたことはないのである。

もちろん、上告人は前記所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟において敗訴し、昭和三九年九月四日本件不動産の所有権は上告人に存しないことが確定したが、被上告人は、これに先だち昭和三八年一月本件不動産の明渡請求訴訟を提起したので、上告人はこれに応訴せざるを得ず、右確定後は賃借権を主張し、そのためには先に元金名義の二〇、〇〇〇円とともに、三月分の利息名義で供託した金一五〇円は、実は三月分の賃料であつたことが自覚されたので昭和二八年四月分以降昭和三九年一二月分まで一四一か月分を一か月五〇円の約であつたが、当時の貨幣価値等も考慮して一か月一五〇円の割で合計二一、一五〇円を、昭和四〇年四月二七日(乙第二八号証)、同年一月および二月の二か月分合計三〇〇円を同年二月三日に(乙第二九号証)、それぞれ支払供託していて、断じて原判決のいう爾後の賃料支払をしなかつたものではない。

上告人の所為にして賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめるような不信行為にあたらない以上、契約解除は特約なき限り先ず催告を必要とするところ、催告不要の特約なく、他に直接解除権の発生する事由なき被上告人が何らの催告もせずしていきなり訴状で解除の意思を表示したとしても、それは無効であつて、解除の効果を発生する筈がない。判例は、債務者に履行をなす意思のないことが明らかであつても、催告をした後でなければ契約を解除することができないとし、(大正二年(オ)第八二八号同年一一月二五日大審民事部判決、大審民集第一巻六八四頁)、家屋の賃貸借において、賃借人が一一か月分の賃料を支払わず、また、それ以前においても屡々賃料の支払を遅滞したことがあつても、賃貸借を解除するには、他に特段の事情がないかぎり民法第五四一条所定の催告を必要とするとし(昭和三二年(オ)第一一五〇号同三五年六月二八日最高裁第三小法廷判決、最高裁民集第一四巻八号一五四七頁)、継続的取引関係において、買主が一方的に代金支払条件を変更する通告をしても売主は即時に契約を解除することは許されず、解除の前提たる催告を必要としている(昭和三九年(ワ)第二四三号同四〇年四月六日横浜地裁判決、下裁民集第一六巻四号六〇〇頁)。<以下略>

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